親の何気ない言動や行動でできてしまう子供の「思い込み」。何となく生きづらさを感じたらカウンセリングがおすすめ!

負の感情を捨てる今カウンセリング、コーチングとしてお世話になっている西村 純一さん

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先日の西村さんは本気でした!

いや、いつも本気ですが、今回は私のように「本質からのらりくらりと逃げたがるタイプ」への、アプローチ法を変えて来たといった感じです。

いつもは、とりとめのない話に時間を費やしてしまい、
あんな事もこんな事もと、頭にどんどん浮いてきて、
自分でも嫌になるくらい、何を本当は悩んでいて、何から逃げているのか
正直わからなかったし、とにかくスッキリしなかったのです。

生きづらいというか、いつも頭にモヤがかかっている感じで、

それは小さい頃にできてしまった「思い込み」なのはわかっているけど、
そう思ってしまった根源に触れる事ができず、
「私はただ、生きづらさを親のせいにしていたいだけじゃないのか」と中ば、自分自身に呆れはじめていました。

1つの問題にフォーカス

でも、今回は、
1つのパターン化された感情に巧みに理詰めされ、
最近感じた思考にフォーカスする事に。

しかも、

1、それは本当に解決したい問題なのか
2、どうなったら解決なのか
3、そうなる事で自分はどうなるのか
4、その何を問題と感じているか、
5、どの辺にその嫌な感覚があるかなど

いつもより、冷静に淡々と問いを投げられ、

逃げ腰の私は
どんどん混乱していき、頭の中が真っ白に(・・;)

でも、結果、この真っ白状態が私には良かったみたい。

ある程度邪念がなくなった状態で、
「楽しかった時の記憶を思い出し、
どんな感情か味わって見て」と言われた時、

つい最近友人と涙を流すほど笑ったはずなのに、
大笑いしている自分の姿は思い出せても、感情がわからない。

どんどん記憶をさかのぼっても、楽しかった記憶が全て
他人事のように思えて、

「ん?なんで?」と何度も自分に問いかけているうちに、
そこに見えたのは、
スクリーン越しに黙ったまま傍観しているもう一人の私。

過去のどんな楽しかった記憶を辿ろうとしても「この子」がいつもいる。

心を閉ざして、何かを感じることをやめているような、
何もかも諦めているかのような、無感情な子。

楽しかった感情を味わえないことにも驚いたけど、
この子の存在に気づいて、頭のなかが混乱してしまった。

この子の正体

私の母は、言葉でなく、態度で私に色々な要求をする人だった。
(少なくとも私にはそう感じていた)

いつも、苛立ちや疲れ、諦め悲しみといった感情を身体中から発しながら、
何かを無言のまま要求している。
その態度は、とても手伝う気に等なれない程威圧的で、重苦しくて、

さらに、
父は帰ってくると大きな声で母を威圧、母はそれに耐えながら、無意識に私達子供を威圧、祖母や祖父もいないこの家族の中で、気が休まる所など無かったように思う。

手伝って失敗してしまった時は、さらに逃げ場がない。

言葉少なめに、ため息混じりに無言で責められる。
蛇に睨まれたカエルのごとく、これがまたキツイ(・・;)
私はただひたすら黙って、泣きもせず、言い訳もせず、無表情のまま立ちすくむ。

さっき見えた子供は「この頃の私」。

そして、こうした失敗を繰り返す中で、
「私は役立たず」
「私はダメな人間」
「私は失敗する」
「私のやることは喜ばれない」

そんな思考も一緒に出来上がってしまった。

記憶の書き換え

そんな小さい頃の私を感じた後に、

ある手法をつかって、
当時の私と母が対話を試みた。

西村さんから
「今の私だったら、その時のお母さんに何ていいますか?」
と聞かれたので

「あんな態度で、気持ちよく手伝いなんてできない、したくない、
手伝ったって感謝どころか喜んでもくれない。
どこまで要求されているのかわからなくて、
ものすごく重かったし苦しかった!
自分のイライラを子供にぶつけるな!ふざけんな!」

と、まあー思いつくままに色々言わせてもらった。

子供の頃の私は、そんな気持ちを感じることも
まして、表現力も伝える術もなく、
父の大きな声にも、母は無言要求にも、無感情になることが
唯一、その場を乗り切る方法と思ってしまった。

その思い込みは大人になった今でも、
あらゆる場所で無意識に反応し続けている。

当時の母の気持ち

子供の頃の私の感情を感じ、母に思いを伝えた後に、

今度は私が、当時の母の感情を味わう。

「お母さんから、子供の頃の私に言いたいことがありますか?」
と言われた後、

ここでも、西村さんには言えなかった事が
ひとつ起こっていた。

もともと無口な母は何も言わなかったけど、
目の前にいた「当時の(子供の頃の)私」は、
母となっている私の膝の上に乗ってきたような感覚。

「うそでしょ」とまた混乱。

昔の私は絶対そんな事はできない。
できる雰囲気など母には無かったし、
迷惑がられると思っていたから、手を触るのだって
すごく気を使っていたのに。

でも、母の気持ちを味わった時、
母は私を邪険になど思っていなかった事がわかったし、

膝の上に乗ってくるのも、全然嫌じゃなさそう。

そんな光景を感じながら、
「何だ、じゃ〜、もっと甘えても良かったんじゃん」と思ってしまった。

記憶って

責められても、傷つかないように、当時の私を守るために作った防護壁。

当時は必要だった、この防護壁は、人との間に距離を取ってしまう。
それに、楽しい事にも同じように影響している事がわかったから、もう手放すことにした。

この壁の向こうからこの子を迎えて、私の中に取り込むイメージ。
(スピリチュアルな感じだけど、これを侮ることなかれ)

こうすることで、少しずつ小さかった頃の私が癒される。

この日から、すでに変化を感じているけど、その話は追って、また書こうと思っている。

最後に

何だかひどい家族のように書いてしまったけど、
父も母も、優しい所も面白い所もあって、いい思い出も沢山ある。

負の感情が凝り固まってしまったのは、私自身の性格もあるかもしれないけど、
絶対的な存在の親から、受け取る感情はやっぱりとても大きいのだと思う。

そして最後に西村さんからアドバイス。

嫌だったことにアクセスするのはもうやめて、
楽しかったことや、いい思い出にアクセスする練習をするといいですよ。

確かに、嫌だった記憶を思い出せば、人生に嫌な時間を増やすだけ。
自分にとっていいことなど何もない。

これからは、自分が心地よくなる感情に意識してアクセスしていこうと思う。

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通称ツナアカ「コーチング・カウンセリング部」の活動に参加してきました。
話を聞く。質問する。理解する。 簡単なようで、ちゃんとできている人は意外に少ないかもしれない
また1つ自分の思考癖に気づく