娘が小学生の頃「母さんが幸せならそれでいい」と言って涙を流した。その言葉の裏側にあるもの。

娘が小学生の頃、
「母さんが幸せならそれでいい」
そう言いながら涙を流したことがある。

私の友達にされた何気ない質問への返答。

顔で笑いながら涙だけ流れてた。

「なんで涙がでたんだろう。自分でもわからないや」

この言葉に違和感を感じながら、
なんていい返せばいいかわからなかった。

普通に考えれば、
子供が声も出さずに、
涙だけ出すなんて、不自然だよね。

それに、
本当ならこの言葉は母親のセリフ。
「娘が幸せならそれでいい」でしょ。

あの頃の私は、娘から見て幸せそうには見えなかったんだろうね。

子供は母親が幸せなら幸せ。

大きな影響を持つ周りの人間が、
幸せなら、子供は幸せで自由でいられる。

娘との約束

母さんが幸せならそれでいい
〇〇が幸せなら私も幸せ

この言葉、優しくもあり、犠牲的でもある。

自分と一緒にいて、相手が幸せな顔している事は何より幸せ。
お互いがそれで幸せなら、ホントに理想的。

でも、娘のセリフは、
母さんが幸せになれるなら、私は我慢する。の意味で、
とても犠牲的な感じ。だから違和感を感じた。
そんなのずっと続けられるわけない。

娘が16歳になった頃、
この時の事を娘と話して、2人で約束をしたことがある。

それは、

私がもし辛そうに見えても、
それはあなたのせいじゃない。
私を幸せにしなきゃなんて、責任を感じる必要はないと言う事。

自分が自分を幸せになる事を考えて、
その時に私が邪魔なら切り離して考える癖をつけて欲しいと言う事。

やりたいことがあったら、
お金とか、考えずに、まず伝える。
協力できることはするし、できないことは他の方法を
一緒に考えてみようと言う事。

とにかく、相手の状況を考えて
我慢しつづけるというのはお互いやめよう。

そんな方法で幸せになれることはないから。

そう言うと、

娘は、「わかった」と一言。

行動に出る

しばらくして、
「母さん、私ずっとやってみたいと思っていたことがあるの。」と、

聞いたこともない異国の武道や
アイルランド語教室、
弓槍、ダンス?
その他、

訳のわからない名称を羅列してきた。

「教室も探してみたんだけど中々ないんだよね~。
それにあったとしても高いし遠い!

どうしたらいいと思う?」

まぁー、予測はしていたけど、
どこまでも、予想外の物を出してくる。
そして、本当に高い!(^^;;

「うーん、

まず、バイトしろ!」

私の協力はこの一言で終わったけど、
 
その数ヶ月後には、
実際バイトを始めることになる。

今でもこの時にやりたいといった物は、結局やっていないけど、

バイト代で、ずっと欲しかった物を、手に入れることが出来て、
最近では、時間を増やそうか悩み中。

母さんが幸せならそれでいい、そう言いながら、
我慢や犠牲心によって、エネルギー不足になっていた娘は
その原因となる物を少しは切り離せたのかな。

犠牲心は無気力を作る。
同時に犠牲心は、問題を相手に委ね、行動できない言い訳に
使うことにもできる厄介な感情。

まだまだ、課題は色々あるけど、
焦らず1歩ずつ。

お互いにとっていい形を
これからも模索していこうと思う(o^^o)