父に似て、私たち兄弟は動物が大好き。
小さい頃から家には猫と犬は居て、時にふくろう、
にわとり、うさぎ、りすなど、色々な動物が我が家にはいた。
それも、にわとり、うさぎ以外はほぼ100%野良。
ある時、父が現場にいた野良猫を
ポケットに入れて家に帰ってくると、
鳴き声に母が気付き、
「あっ!また連れてきた~」とあきれ顔。
私たちは「猫だ~」と大喜び!
世話をするのはほとんど母なのでこの反応は仕方ない。
そして、子供たちもまた
野良を見つけると、つい家に連れて来てしまう。
時には、近所の人が「寺さんなら飼ってくれると思って」
と連れてくる時もあった。
それにも父は駄目だと言ったことはない。
いつの時代も猫がいて、
名前は見たまま。
歴代ミケ猫は毎回「みけ」、
黒ければ「黒」
トラなら「トラ」
二匹同じ模様がいれば
「チビトラ」と「トラ」
そんなこんなで
一番多かった時は猫7匹だったかな。
変わらぬ我が家
そして、現在も、
私が東京から帰る度、
我が家に猫が増えている。
それはやっぱり野良猫で、
庭でウロラロしていた猫を
父が捕まえてきた。
そして、常にオープンな我が家には
色々な猫が自由に入ってくる。
中には近所の猫も一緒に寝てたりして。
初めて見る猫がくれば、
「おっ、初顔!」と言って
みんな、こぞって
「おいで~おいで~」をする。
追い出したり、追いかけたりしないから、
その心地よさに家に居座らないまでも
度々顔をだすようになる。
今常時、家にいるのは最初の野良ちゃんの
子供を含め4匹かな。
たぶんその他にも遊びにくる猫が3匹はいる。
だから、父の周りは猫だらけ。
朝起きて、椅子にすわれば、
我先にと膝の上に丸くなる。
寝るといって布団に入れば、
大抵3匹が父の顔周りで寝ている。
「もう大変だよ」と言いつつ、
父はいつも猫が入ってこれるように
扉を開けたまま寝ている。
そうそう、
野良猫って汚くないの?って
思う人もきっといるよね。
我が家はそれが普通だったせいか
汚いって思った事は一度もなくて、
それよりも、すごく賢いなという印象。
凛々しさと、独特な強さを感じる。
ネコだと許せてしまう謎
そういえば、
最近、「あたしおかあさんだから」という詩が
話題になっていたけど、
これをある人が、
「我輩猫だから」
に変えてみたらどうか?と
Twitterに上げていた。
何故だろう、
おれ父親だから
私長女だから、
おれ長男なんだから
どれを見ても、なんらかの
我慢を感じるのに、
我輩猫だからには
何も我慢を感じないという不思議。
それと、もう一つ
「あたし猫飼いはじめたから」に
変えたらどうなるか、
これは歌詞がアップされてた。
その感想は、
「なぜネコだと許せてしまうんだろう」
「我慢はしてないんだよ。
嬉々としてやっちゃうんだよ」など
みんな妙に納得している。
猫好きにとって、
猫の持つ魅力は計り知れないのだ(^。^)
もちろん、子供の持つ魅力も計り知れない。
対象を変えただけで、
全く違う印象になるのは何故だろう。
人と猫。
その違いは「〇〇はこうあるべき」という考え方を
持っているかどうか。
つまり、囚われだよね。
囚われなんて知らない猫にとって、
わたしはわたし、
周りにどう思われるで、行動してない。
そこだろうね。
あー、私も不必要な囚われを捨て、
猫のようになりたい(^-^)
「あたし猫飼いはじめたから」↓
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