本当、無意識に
頭の中に住んでる人、または、頻繁に登場してくる人がいる。
それは、
友達、親、彼氏、近所の人、
誰でもあり得て、
頭の中で、昔あった出来事や、自分という人間のイメージを、強化するために、また違う形で追体験している。
恋わずらいのように、
ため息混じりの甘い出来事なら
それは大歓迎だけど、
もともと頭(思考)は90パーセント以上ネガティブな事を考える習性を持っていると言われている。
それが毎日続くのだから、溜まったものではない。
頭(思考)の特性
嫌な事があった時、意図的に意識しないと、この頭が持つ習性が遺憾なく発揮され、ずっとその思いを持ち続ける事になる。
さらに、頭は、実際にあった出来事以上の想像を作り出し、あの人はこうゆうつもりでやっているとか、私をバカにしているとか、きっとこれからも、こうなる、ああなると、新たな想像まで加え、嫌な思いを増幅させる。
中には、実際にはできなかった「相手を言い負かす」事を想像して、少しでも気分を和らげようとする人もいる。
だけど、現実は何も変わらない。
それなのになぜ?
役割
人間って本当に不思議な生き物で、嫌な思いをわざわざ自分の時間と頭を使って自分に体験させる生き物。
その想いは、過去だったり、未来だったりを行ったり来たり。
そして、今の現実にも嫌な奴が、目の前にいる。
もうどうすりゃーいいの?って状態。
そんな時、友人に相談すると「そんな事忘れなよ」「頭を切り替えて」などと言うけれど、そんなに簡単ではない。
なぜなら、自分の頭に住む人は、ある意味、その人にとってとても重要な役割を果たしているから。
考えて見てほしい。
この人が頭にいる事で、何をしないでいられる?
相手を悪者にして憎んでいる間は、何を見なくていい?
「?」だよね。
そんな、今までしたこともない問いを自分に出した時、
この頭の中の人にも、役割がある事に気づく。
その思いはどこからやってくる?
いやいや、本当に今も現実に嫌な思いしてるし、、、
その嫌な思いと共に、感じている事は何だろう。
その不快な相手は、自分をどう扱っているように見えるのか。
なんて言われているように思えるのか。
実際に、なんて言われたのか。
ここで出てくる言葉はね、
自分自身が、自分に対して思っている事。
そして、それは、きっと
幼い頃に感じた馴染みのある感情。その出来事が未解決なまま、身体のどこかに残っている。
なぜなら、怒り、悲しみ、苦しみは「過去」から、そして、不安は「未来」からやってくる。
不快が心地よい?
人に対して不快な思いを感じた時、
それに気づき、一つ一つ解決していくと、不快だと感じる出来事が減っていくから不思議。
これが頭と心のカラクリ。
だけど、
頭は、住人が1人いなくなると、他の誰かをまた探すかもしれない。
人は不快であったとしても、慣れ親しんでいる状態の方を好む。
不思議だけど、あまりに慣れ親しんでいるものだから「不快である状態が快」なのだ。
だから、この状態から抜け出すには、この「不快でありながら快」の状態から、本当にあなたにとっての「快」を見つけだす作業が必要になる。
それには、過去にも未来でもなく、今を感じる為の練習が必要で、
それは、マインドフルネスとも言われる瞑想だったり、
自分の快とは何かを、自分のためにあの手この手と追求していく。
この世の唯一無二の存在である
自分に手間暇かける。
時間は、頭の中にいる他人に使わせるのではなく、自分のために、自分の人生を豊かにするために使う。
それを続けるうちに、
へぇ〜、
私って、俺ってこんな事が好きだったんだって、驚く事になる。