ありのままの自分を認めるって何だろう。
私は何が好きで、何が嫌いなんだろう。
私は私を好きなのだろうか?
こんな問いに答えられなかったら、きっと、貴方の恋愛や人間関係には、いつも苦しみが伴うかもしれない。
自分が自分を好きという感覚がない人は、人に愛される事、褒められる事、認められる事で、自分の価値を知ろうとする。
自分が自分を大切にできないから、人に大切にされようとして、自分の感情は無視して行動してしまう。
酷いことを言われても、言い返す事が出来ない。
やっぱり私じゃダメなんだと、相手でなく、自分を責める。
一生懸命話を聞き、手伝い、優しく接してきたのに、自分が苦しい時には誰にも頼れない。
仮に頑張って頼ってみても、作り上げてきた強い人の仮面は外せないから、結局、可愛くもなく、「あなたなら大丈夫」と思われてしまう。
そもそも、頼るという事は、相手に迷惑をかける事だと思っているから、申し訳なくて、後になって、罪悪感にも似た後悔が押し寄せる。
誰よりも愛されたい、大切にされたいと心の奥で願いながら、
いつものように「私は大丈夫」と言ってしまう。
だって、
私は今までなんでも一人で決めてきた。そして、乗り越えてきた。だから、今回だってきっと大丈夫。
次はうまくいく。
いつか、こんな私をわかってくれる人が、きっと現れるはず。
さあ、次の事をがんばらなくちゃ。
そんな、がんばるパターンを繰り返すたびに、強い人仮面は強化され、ますます、自分という人間がわからなくなっていく。
自分を大切にすると言う事
人間関係がうまくいかないと言う人に、自分を大切に扱っているかと聞くと、頭を傾げる。
自分を大切にするとは何か。
なぜ、それが必要なのか。
本を読めば、自分を大切に出来ない人は、人を大切に出来ないと書かれている。
でも、私は人を大切にしているし、いつも助けている。
なのに、なぜ。
実は、この答えは、とても簡単。
大切にされたいから大切にする。
優しくされたいから優しくする。
愛されたいから愛する。
人にしている行動は、本当は自分の為。
その人のためでなく、
この「〜〜されたいから」の〜〜の感情を満たすため。
自分が欲しいものを相手に与え、相手の喜ぶ顔をみて、自分を満たされようとする。
だから、上げた分だけ、喜んでほしいし、無意識に返して欲しいと思っている。
だけど、やってもやっても、
なぜか心の空洞を埋らない。
それは、大切にする相手を間違えているから。
空洞を埋めてくれる人
いつか、誰かが、こんな自分をわかってくれる。
そんな思いが叶う事は、あまりない。
わかってあげられるのも、
心の空洞を埋められるのも、
自分の本当の願いを聞いてあげられるのも
人じゃない。自分自身。
自分を大切に扱い、
自分を満たしてこそ、
初めて、本当の意味で人を大切にできる。
満たされた心で行動すると、
人に対して、
大切にしたいから大切にする。
優しくしたい優しくする。
愛したいから愛する。
「されたい」という要求から
「したい」という自分の望みに変わってくる。
人を大切にしたら、大切にされるのではなく、
自分を大切にするから、人を大切にできる。
そして、自分を大切に扱かっていると、人からも、自然と大切に扱かわれるようになる。
どうすれば
何から始めればいいのか、
まず最初にできることとしたら、
人のために使っていた時間を、自分のために取り戻す。
何となく手伝っていた事。
人の話をずっと聞いていたり、あまり気乗りのしない会に参加したり、
「あの人の為」と思ってやっていたことをやめてみる。
この時、すごい罪悪感が湧くかもしれない。
この訳のわからぬ罪悪感は、自分を大切にしようと思ったら、必ず通る道。
断った後、じゃ、何をしようと思っても、今までずっと人のために動いてきたから、何をしていいかわからない。
置いていかれるような、誰にも必要とされなくなるような不安感も出てくるかも知れない。
そんな時は、自然に触れに行く。
ただ、そんな不安や罪悪感を受け止めてくれるそんな安らげる場所を見つけたら、
目を閉じて、
深呼吸を何度もして、
身体が緩んだら、
こんな言葉を自分につぶやいてみて。
疲れたね。休んでいいよ。
私よく頑張ってきたね。
寂しかったよね。
大切にされたかったんだよね。
気付かなくてごめんね。
つぶやきながら、
少しでも心が動いたらね、
もうそろそろ、本格的に
自分を大切にしていい頃だよ。
うまくいかなかったり、自分の好きがよく分からなかったら、ここに来て。