さて、富士宮への旅を決意して、1週間後。
私は東京駅から富士宮駅行きの高速バスに乗っていた。
何が起こるかわからないけれど、
少なくとも、57年前に好美叔母ちゃんが暮らしていたその街を、ただ楽しむだけでもいい。
そう思いながらも、映画「幸せの黄色いハンカチ」ではないけれど、一人で彼女の帰りを待つ男性の姿を想像したり、奇跡という妄想に心躍らせ、近づく富士山を眺めていたら、あっという間に目的地に到着。
そして、バスを降りると、目の前にはでっかい富士山。
私は大きな深呼吸をして、しばらくその雄大な姿を眺めていた。
余談になるけれど、私の父の戒名には、富士山”の異名「富岳(ふがく)」という漢字が使われている。お世話になっているお寺のお坊さんが、母の葬儀の際に話した父をよく覚えていて、「その時、お父さんに山を感じたんですよ」と、その印象を名前にしてくれて、
兄たちもそれを知った時「親父にピッタリな名前だな」と言ってとても喜んでいた。
だから、富士山は私にとって父を思い出させる存在。
今日は振り向けば父(富士山)がいるこの富士宮で、妹の好美叔母ちゃんの思い出の地を訪ねていく。
名前
その日は、1月だというのにとても温かくて、青く澄んだ空、白い雲、もうそれだけで来てよかったと思えた。
そして、Googleマップが示す目的の場所は大石寺のバス停から徒歩20分ほどのところ。
ゆっくり、確実にその場所に近づきながら、あと60mと示されたあたりで、大通りから小道へと右に曲がり、しばらく歩いていくと、そこには平屋建ての古い建物が建っていた。
「たぶん、ここだ。残ってたんだ」
好美叔母ちゃんの住んでいた家。
縁側と今ではほとんど見ない木製のガラス窓。引き戸の玄関。
玄関前まで行ってみて中をのぞいてみたけれど、人がいる気配はない。
でも、廃墟と言った感じでもなく、誰かが整備しているように見える。
しばらくそこに立って建物を眺めていたら、隣の家から男性が出てきて、この家の倉庫らしき小さな建物に入ろうとした。
「すみません。ちょっと聞いてもいいですか?
この家に住んでいた人の事でお聞きしたいのですが」と声をかけたら、
「あ~、○○さんね。ここはもう誰も住んでいないよ。ちょっと待ってね。もっと詳しい人がいるから呼んでくる」といって家の中に戻っていった。どうも彼は親族らしい。
驚くほどあっけなく知り合いに出会えた。
そして、ドキドキしながら隣の家の玄関先で待っていると、
奥の方から、私と同じくらいの年齢の女性がでてきて、
「○○さんの事ね。私はここに嫁いできたものだから詳しくはないんだけど、どういった内容?」と尋ねてくれて、
私は、これまでの簡単な経緯を話し、昔この家に嫁いできた女性の事を知りたくてここに来たと伝えた。
その女性は、私と外を歩きながら、先ほどの誰もいない家の前まで一緒に来てくれて、
「この家はもう100年くらい建っているらしいの。○○さんが引っ越してからは誰も住んでいないらしいけど」と、知っていることを色々教えてくれて、
「あの、その方に娘さんがいたと思うんですが」
「あ~、○○ちゃんね」と、娘さんの名前を口にした。
「あっ、ちょっと待ってください。書くので。どんな漢字か知っていますか?」
慌ててメモ帳を取り出し、
「はっきりとは覚えてないけど、確か〇に美しいという字で○美ちゃんだったと思うわよ」
書き留めながら、同じ【美】がついている、と思った。
「もし、もっと詳しいことが知りたかったら近くに彼の弟さんが住んでいるから。ほらあの白い屋根の家。訪ねていってごらん」と指さして、
それは、今いる家から目と鼻の先に建つ新しい家だった。
弟さんが傍に住んでいるんだ。
あれよあれよという間に、兄弟に辿り着き、
「ありがとうございます。行ってみます」とお礼を言って、すぐに弟さんの家に向かった。
思い出
玄関の前に立ち、深呼吸をして、チャイムをゆっくり押した。
中からでてきたのは女性。
私は自己紹介と○○さんの弟さんとお話がしたいと伝えると、奥の方から男性が出てきた。
優しそうな顔だけど、私を見て怪訝な表情。
当たり前だよね。普通に考えて、50年以上前に兄と離婚した女性の姪っ子が、突然訪ねて来るなんて中々ない話。
私は事情を話し、率直に好美叔母ちゃんと娘さんの事で知っていることがあったら教えてほしいと伝えた。
彼は好美叔母ちゃんの存在は覚えてはいるものの、あまり記憶には残っていないらしく、
娘さんについては、調べれば今どこにいるかわかるかもしれないと答えてくれた。
その話ぶりから、どうやら、好美叔母ちゃんはここにいた期間は短かそう。
そう思いながら、
「もし娘さんと連絡がとれるようなら、私の住所を置いていくので、伝えていただくことは可能ですか?」と尋ねると、
「連絡が取れたら伝えますよ」と言ってくれて、
これで彼女と繋がれる可能性がでてきた。そう思ったらなんかホッとした。
それからしばらくは、お兄さんとの話を聞かせてくれて、
「兄は俺より10歳上で、とても厳しく近寄りがたくて、一緒にいると緊張する人だったんですよ。でも、仲間たちには慕われているように見えた」と不思議そうに首をかしげ、「おれはあんまり近寄りたくなかったな~」と言って笑っていた。
そして、自衛隊員だった兄は、しばらくして、千葉の駐屯地の勤務になり引っ越していったらしい。
その話を聞いて、「好美叔母ちゃんも千葉の柏に住んでいたんですよ」と話すと
「えっ、彼女も千葉にいたの?」と意外そうな顔をして、
「千葉にいたのか。。。そっか」とつぶやくように、その言い方がなんとなく意味深で、
そう言われてみれば、どこに暮らしてもいいはずなのに、近くに住んでいたんだなとその時思った。
その日の弟さんは、どこから来たのかわからない見知らぬ私を、本当に快く向かい入れてくれて、思い出話を聞かせてくれて、最後は優しい笑顔で送り出してくれた。
娘さんに私の連絡先が伝わるかはわからないけれど、あとは彼に託そう。必要なら必ず繋がれる。
そんな思いだった。
メッセージ
弟さんの家を出て、帰る前に、もう一度、好美叔母ちゃんの住んでいた家に戻り、庭先でしみじみ周りを見ていたら、たぶん台所の窓、網戸越しに張り紙があるのが見えて、
近くに行って、その文字を見つけた時、なんとも言えない気持ちになった。
そこに書かれていたのは
「感謝」
それは、好美叔母ちゃんから私へのメッセージに思えて、
思わずため息がでた。
しばらくその言葉を眺めながら
何年前に張ったんだろう。小さい文字はかすれててもう読むことができない、、、
そんなことを考えていたら、
遠くの方から流れて来るメロディが聞こえてきて、
「ウソでしょ・・・」
・・・偶然にしてもタイミングが良すぎる。
街のカラオケ大会なのか、何なのかはわからなかったけれど、
女性が歌いだしたその歌は、松田聖子さんのスイートメモリー。
失った夢だけが美しく見えるのはなぜかしら
過ぎ去ったやさしさも今は甘い記憶 スイートメモリー
一緒に口ずさみながら、
こみ上げてくる思い、どんな気持ちで人生を過ごしていたんだろうと思うと涙がでそうだった。
好美叔母ちゃんがこの街に来たのは26歳。結婚し子供を産み、彼女の青春は確かにここにあったんだよね。
なんだか身体の力が抜けて、その場所を離れるのが名残惜しかったけれど、一歩ずつ家から離れはじめ、最後にもう一度振り返り、まるで好美叔母ちゃんがそこにいるかのように、バイバイと言って、その場を後にした。
富士宮の街で今までを振り返る
好美叔母ちゃんの家から歩いて大通りにでると、すぐ近くにあったバス停に「富士宮駅行き」の市内バスがとまっていた。
もともと、ここまで来る方法は調べてあったけれど、この後の予定は未定だった私にとってはグットタイミング。
すぐにバスに乗り込み、今日の宿泊予定である駅前ホテルへと向かった。
ホテルに到着しチェックインを済ませた後、
市内をブラブラ歩き、学生一押しと書いてあった、富士宮焼きそばアンテナショップを見つけ、
テラス席で外の風を感じながら、今日一日の事や、今までの道のりを振り返ってみた。
家系図を作ろうと思うまでのいきさつ。行動しようと決めてから、節子、優子ちゃん、極ちゃん、ゆきちゃんに助けられながら、ここまでたどり着くことができたこの一連の流れ、
人生って、自分が決断し歩みだすと、自然とすすむべき道を教えてくれる人に巡り合うようになっているようだ。
【自分がどうしたいか、どこに行きたいかを示すことがとても重要】
そう何度も人から言われてきていたけれど、今回のこの出来事で、この言葉の意味をようやく理解することができたように思う。
さて、翌日はフリーになり、富士宮という街を思いっきり楽しんだけれど、その話はまた別の機会にしたいと思う。
次は、家系を辿る旅の最終話。「届いた手紙」に続きます。