今日一日、純粋に自分の人生のために使った時間は何時間くらいあっただろう。
自分を楽しませたり、心地よくなることに費やした時間は何時間くらい?
刻一刻と音も立てずに当たり前に過ぎていく時間、
朝起きて、コーヒー飲んで、身支度を整え、会社に行く。
通勤時間、仕事の合間のランチ、同僚との何気ない会話、仕事をおえて帰宅してからは、夕食にお風呂、テレビを見たり、本を読んだり、音楽聴いたりと、寝るまでの時間を過ごし、就寝。朝になればまた同じような一日が始まる。
この一日24時間の中に、自分が自ら望んでしている行動に使った時間はどのくらいあっただろう。
自分の人生をより心豊かにするために何ができただろう。
気がつくと自分以外の人の事ばかり考えていない?
会社のこと、家族のこと、友人のこと、恋人のこと、芸能ニュースのこと、昔の彼のことだったり、過去の栄光や後悔だったり、社会の出来事だったり、予想不可能な未来や現実的でない妄想だったり、
こうした思考は、自分の人生から容易に逃避させ、意識的にならない限り簡単に自分の時間を奪っていく。
まるで人生が永遠に続くかのように、いつか、いつかという思いを抱きながら、誰かの手によってもたらされるかもしれない幸運や、ありもしないチャンスを待っているかのように。
人生の目的
人生は毎日過ごすだけで、様々な問題が浮上してくる。こうした問題を人はそれぞれに乗り越えながら生きている。
それが人生だと思い、大抵の人は、自分の人生の目的を明確にしようとはしない。
というのも、
自分という人間は、何を喜び、何が楽しいと感じるのか、何に心動かされるのかにとても無頓着だからだと思う。
そうゆう人は、人のためになら行動ができても、自分のためには行動ができない。
なぜなら、何を喜びに感じるのかわからない自分を相手にするよりも、人の望みを叶える方が容易だからだ。
社会では、よく利他的な行動が良いとされ、人のために何ができるかを優先するのがいいかのように言われるけれど、それは自分を誤魔化すのに好都合な理由となってしまう。
自分の人生の目的がわかっていなければ、いくら人を喜ばせることができたとしても、その喜びは一時的なものに過ぎず、自分の心の奥底にある思いを満たすことはできない。
自分が何を望み、何に感動するのか、その為に何がしたいのか、まず自分の内側を理解することから本当の人生が始まる。
今日という一日、どれだけ自分の人生のために時間を使ったのか。
1ヶ月、半年、1年と自分の人生の目的のために使った時間だけを足したものがあなたの人生だとしたら、今本当は何歳だろう。
自分の人生の時間とは
ここでいっている自分の時間とは何か。
自らそれをする、したいと選択し、自分が望んでそうしてる時間のこと。
自分で決めたことに責任を持ち、結果を相手のせいにしたりせず、相手に勝手な期待を持つことのない行動。
あと何年、何時間あるかもわからない、与えられた人生の時間を何に使いたいのか。
このことを意識しながら過ごすことができたなら、自分のために生きている時間がいかに貴重かが自覚できるようになる。