ゴールデンウィーク中に兄夫婦と行ったお蕎麦屋さん。そのお店に隣接する「詩人フランス文学者である大島博光さんの記念館」に行ってみました。
長野県出身だという大島光博さん、実は初めて聞いたし、兄夫婦も知らなかった。
最初は入るつもりはなかったけど、
記念館の前に書かれていた千曲川の詩を見て、兄が「いい詩だな」と何気なく読んでいたら、記念館の人に声を掛けられ、入ってみる事に。
子供達も含め8人で、大島さんの活動や詩について説明を聞いていると、
娘が突然「お蕎麦屋さんのトイレに書かれていた詩ですね」と言って、その詩を何も見ずに朗読しはじめた。
「いい詩だなと思ったから覚えてた」という言葉に記念館の女性は驚きを隠せない。
私はトイレに詩があった事にも気づかなかったのに、娘はすらすら詩を朗読している。
「おまえやっぱすごいな〜」
↑家族全員で尊敬の眼差し。。。
春が来たら
これが、娘が覚えていた詩。
「春が来たら」
春が来たら 耳をあててごらん
大きな けやきにの木の幹に
きこえるだろう その暗い幹のなかを
樹液のかけのぼる音が
千の若芽 若葉が
水を吸い上げる音が
だから 木の芽どきになると
井戸の水が ひくくなる
三月の空にもえる 千の若葉が
千のばけつで汲みあげるから
春がきたら 耳をあててごらん
大きな けやきの木の幹に
娘の感性に触れる
娘は
木の芽どきになると井戸が低くなる
という部分になるほどと思ったのだとか。
水道を使う生活の中では気づかない事だけど、
考えてみると、本当にそう。
木も生きている。
春になると一斉に水を吸い上げて、若葉をだす。
なんか宮崎駿さんの映画の世界みたい。
帰り際、記念館の方が、「数が少ないから貴方にだけあげるわね」 と娘に大島さんの代表作が書かれている冊子を手渡してくれた。
この何気なく立ち寄った記念館にも、娘の感性に触れるものがあったのかもしれない。