ある日突然、浮上した問題に対して、
今までの自分のやり方を疑ったり、自信がなくなって、何もできなくなる事ってないですか?
私は、娘が不登校になった時、まさしくこの状態でした。
当時は、ひたすら考えてみても、答えなどでず、
色んな人のアドバイスを、そのまま実行してみたりもした。
見守っていれば大丈夫と言われれば、
理解のある親としての行動を取ってみたり、
少しは怒った方がいいよと言われれば、
色々怒ってみたり、
気分転換が必要なんじゃない?と言われれば、
旅行を計画してみたり、
いい先生を知っていると言われれば、
娘に会わせてみたり、
だけど、ほとんどが、娘には響かない。
娘は全てお見通し
そして、性懲りも無く人からされたアドバイスを実行しようとした時、
「母さん、今日は誰に何を言われてきたの?そんなことしても何も変わらないよ」
と言われた。
娘は全てお見通しだった。
私の考えで、行動しているわけじゃないことなど、
あっと言う間にわかるらしい。
なぜ、私はあの時そんな行動をとったのか。
それは、予想もしていなかった事態に遭遇して、
私は間違っているんだ、今のままの私ではダメなんだと、
自分自身を全否定してしまったからだと思う。
自分をなくした状態で、人に言われたことを実行して、
心の奥では、違うと感じながらも、上部だけで違う人間になってみた。
だけど、そんなことで問題が解決するわけがない。
人の意見を聞くのは、必要な事だけど、
その考えは自分に取り入れる事ができるか、取り入れたいかを自分に問いかけることが重要だった。
専門家の言葉でも、
もっともそうな考えでも、
賛成多数の言葉でも、
大好きな人のアドバイスでも、
そして、同じような経験をしている人でさえも、
自分と分離したところで行動していたら、
それは、単なる茶番になってしまう。
本当はどうしたい?
娘のあの一言から、
本当はどうしたいのかを改めて考えた。
そして、最初にやめようと思ったのは、怒るという事。
色んな人に「甘やかしている」と言われたけど、
過去の娘の生活を考えていると、
肝心な時に甘える事が出来ない状態だった。
だから、反対にもっと甘えられる場所を作ってみようと思った。
そして、何でも許可してみて、娘がどんな反応をするか様子を見てみると、
根っから真面目な娘は、わがままになるどころか、遠慮しまくる。
それでも、
失敗しても「いいよー」
やりたいことも「いいよー」
お願いしたことしてなくても「いいよー」
服買って〜も「いいよー」
旅行行きたいも「いいよー」
と少しづつ「いいよー」の数が増えている。
それが、正しいか正しくないかは正直わからない。
自信などない。だけど、私がそうしたい。
自分の心を信じて、できる限り、私はこの許可を続けていこうと思っている。
上手な意見の取り入れ方
人の意見の上手な取り入れ方。
色々な人から、もらった意見は、今も私の心にちゃんとある。
それら一つ一つが、自分と照合されて、本当は娘に自分がどうしたいかを知ることになった。
自分がそうしたいと思えるものと、そう思えないもの、
それを、素直に感じていくことが、上手な意見の取り入れ方なんだと思う。